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秋分の日

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2022.09.23

秋分の日

九月二十三日は秋分の日で秋の彼岸の中日です。
暑さ寒さも彼岸までと言われているように、夏の暑さも秋の彼岸になったら、暑さが落ち着いて過ごしやすい季節になるのです。秋分に日は昼の長さと夜の長さが同じになりこれ以降は、夜が長くなって昼が短くなっていきます。

秋分とは

秋分とは、二十四節気の十六番目の節気で、昼と夜の長さが同じになると言われていて、この日以降は徐々に夜の長さが長くなっていきます。また日本では国民の祝日の一つの「秋分の日」という休日で、明治十一年(西暦1878)に休日になり、以前は「秋季皇霊祭」という名前でした。国立天文台の産出する定気法によるところの秋分日を基にしていて、前年の二月第一平日付の官報の公告欄で暦要項として公告されます。

彼岸

二十四節気の春分日、秋分の日を中日として、前後の三日間を合わせた七日間の期間を彼岸と言います。最初の日を「彼岸の入り」真ん中の春分の日、秋分の日を「中日」最後の日を「彼岸明け」と呼びます。彼岸とは現世で我々生きているのを「此岸」(しがん)といい、西方極楽浄土を彼の岸「彼岸」(ひがん)というのです。彼岸は梵語のパーラムの意訳で、仏教の「波羅蜜 パーラミタ」を意訳した「到彼岸」に由来します。波羅蜜は波羅蜜多と音訳され、義訳して「度」「度無極」「到彼岸」などと言い、パーラム(彼岸)にミタ(到れる)と解釈すれば到彼岸となり、波羅蜜の修行によって生死輪廻の此岸から菩提涅槃の彼岸の理想界に達することができるという意味になります。
浄土教の阿弥陀仏の極楽浄土が西方極楽浄土とも言われるように、西方にあり、一年に二度、昼と夜の長さが同じとなる春分と秋分は、太陽が真東から昇って真西に沈むので、西方に沈む太陽を拝み、彼方の極楽浄土に想いを馳せたのが彼岸の始まりです、彼岸は日本独特のものでインドや中国の仏教では行われてなく、日本の古来の土俗的な太陽に対する信仰と祖霊信仰が一緒になったのが起源だと考えられ、彼岸という言葉は太陽に豊作を祈願する太陽信仰の「日の願い」という言葉が、「日願」として仏教の「彼岸」と結びついて、民間習俗と彼岸の名称とその期間が結合して、仏教の行事となり歳時習俗として生活の中に浸透して広がったのだとも考えられています。

彼岸の歴史

彼岸が日本で初めて行われたのがわかるのは、延暦二十五年(西暦806)日本で初めて仏教の行事として彼岸会が行われました。それは『日本後記』の延暦二十五年の二月の条に、「毎年春分と秋分を中心とした前後七日間、「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇と諡号された非業の死を遂げられた早良親王のために転読させた」と、怨念を鎮めるために行われたというものでした。そして三月十七日に太政官から「五畿内七道諸国」の国分寺の僧侶たちに春分、秋分を中心とした七日間に「金剛般若波羅蜜多経」を読誦するようにとの命令が出て、太政官ではこれ以降は恒例の行事とするようになり、これが彼岸会になっっていきました。

彼岸のお供え

彼岸には、春の彼岸には「ぼた餅」、秋の彼岸には「おはぎ」をお供えします。
おはぎは、もち米とうるち米を混ぜたものを、蒸すまたは炊いて米粒が残る程度に搗いて丸めたものに、餡子をまぶした食べ物で米を半分潰すので、「はんごろし」とも呼ばれ、春は牡丹の花が咲き、秋は萩の花がさくことから、ぼた餅、おはぎと呼ばれ、同じものなのです。

各宗派の彼岸会

日本の各宗派では彼岸会が行われています。
天台宗では、西方極楽浄土に思いをおはせ、修養に努める行事といて彼岸会が行われます。
真言宗では、此岸から彼岸へと川を渡る舟に喩えられる「六波羅蜜行」の布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つを実践することを彼岸の期間に行うのを彼岸会としています。
臨済宗では、真言宗と同じく六波羅蜜行を実践する期間として彼岸会を務めます。
曹洞宗では、人間が仏心に目覚め、努力、精進、修行をする実践習慣し先祖を供養する期間として彼岸会が務まります。
日蓮宗では、彼岸へ到達するために自らが修行、精進を重ねて先祖への報恩感謝を表す期間として彼岸会が務まります。
浄土宗では、極楽浄土におられる阿弥陀如来を想い、南無阿弥陀仏と称え、自分を育んでくれた御先祖や亡くなられた方への追善供養に努める期間として彼岸会が務まります。
浄土真宗では、「阿弥陀如来の浄土」である「彼岸」に還っていかれたご先祖、亡くなられた方々を偲ぶとともに、亡き方々の問いかけに耳を傾け、今を生きる我々の生活を振り返る期間として彼岸会がお勤めされます。

彼岸会のお勤め

彼岸会には「往生礼讃」を彼岸の入りの「初」、春分の日、秋分の日の中日「中」、最後の日に彼岸明け「結」にお勤めします。往生礼讃は中国の唐の時代の善導大師が著述されたもので、蓮如上人が本願寺の声明を宗祖親鸞聖人が作られた「正信偈」を中心とした声明に改められるまでは、毎日お勤めされていたのですが、現在は両彼岸の初中結にだけお勤めすることになり、蓮通寺でも彼岸の初中結にお勤めいたします。

まとめ

秋分の日の彼岸は日本独特の行事で、生活に根をおろして広く行われていることで、自分を見つめ直し、先祖や亡き方々に想いをいたし、感謝することなのです。これは「恭敬の会」が、全ての方々が負担が少なく、しかし丁寧に供養し感謝の念を表し施主の方も亡くなった方も安心できることを目標にしていることと同じなのです。それは、現在社会で行われている「送骨」は、お骨を送るだけで納骨するのです。そこで恭敬の会では、僧侶がお伺いし、礼拝の対象となる三つ折り本尊を授与し、その前でお勤めをしてからお骨を預かっ丁寧に納骨し、亡くなった人に感謝の念を表し安心できるのです。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は心に安心をもたらせます。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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