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稲刈り

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2022.09.12

稲刈り

黄金色の穂が垂れ下がってきて稲刈りが進んできています。いつもの年は八月の終わり頃から稲刈りが始まり、九月の中頃には稲刈りが済んでいることが多いのですが、今年は八月の後半の時期に雨の日が多くて、今年は稲刈りが少し遅れていて、この週が稲刈りの最盛期になりました。それとともに稲の生育が良くないというおっしゃる農家の方が多いように思います。

昔の稲刈り

今は「コンバイン」といいう大型で便利な機械があるので、一度に何条も刈れるものだと坪数で言えば一反(990平米)も1時間くらいで枯れてしまい、一日で一町(9900平米)刈れてしまうのですが、昔は鋸鎌(ノコギリガマ)を使って一家総出で稲刈りをしていました。しかも刈るだけで脱穀は別で、何束かを括って置いておき、それを稲架(ハサ)にかけて乾かし、それを脱穀するのですから、すごく手間も日にちもかかったのです。しかも今のように八月末から九月前半ではなく、十月に入ってからの稲刈りが普通でした。
昔は田植えが五月後半から六月にかけて行われていて、四ヶ月ほどかかって成長し、十月上旬に刈り取りが行われていました。

稲刈りの道具

昔の稲刈りには「鋸鎌」(ノコギリガマ)と言われる鎌が使われていて、鎌は弥生時代から既に使われていたようなのですが、この鋸鎌が朝鮮半島から伝わってきてこれがとても効率が良くて、稲を根本から刈り取る根刈りが出来るようになって、刈り取った藁を別のもので利用するためにも、春先に他起こしをするにも、この鋸鎌で刈れる根刈りが効率が良いのです。
「田舟」(タブネ)、刈り取った稲や土や肥料などを運んだ道具で、田んぼの上を滑らせて運ぶものです。田んぼによっては凄くぬかるんでいる田んぼがあり、腰まで水があるような田んぼでは舟刈りといって舟の中から稲を刈るというとこもあったようです。
「稲架」(ハサ)、刈り取った稲の束を天日と風で乾燥させるために、田んぼの端の畔なんかに柱が何本も立てられて、そこに横桟を渡し、その横桟に束ねた稲を掛けて行き、干します。
「千歯抜き」(センバコキ)、江戸時代に発明されたmので、鉄の歯の隙間に稲の穂先を入れて、引き抜くと籾だけが落ち、籾がついたままの穂先がたくさん出るので、さらに唐棹で何ども叩いてもみを分離します。
「足踏み脱穀機」(アシブミダッコクキ)、直径40〜60センチの円筒形も扱胴に逆V字型の針金を付けたもので、踏み板を踏むとクランクによって回転し、稲穂を一把もって穂先を扱堂に当てて、回しながら脱穀するのです。
これらの道具を使って、家族総出で朝早くから日が暮れるまで、何日もかかって稲刈りをしていたのです。

現在の稲刈りの機械

昔は家族総出で、朝早くから日が暮れるまでかかって、稲刈りしていたのが、「人力稲刈り機」が取り入れられるようになりました。これは稲の根元に押し当てて、目安に一度に四〜五株刈り取って、刈り取った稲をレバーで固定し、所定の場所に運ぶのです。立ったまま作業ができるので、腰を曲げて手刈りをすることより作業の効率が上がりました。
「バインダー」
バインダーは稲刈りと結束を行える機械で、狭い場所や斜面などでも使えて、コンバインと比べてコンパクトで安価なため、これが最初に普及して行きました。
コンバインと違って脱穀はできないので、乾かして脱穀を別にしなければなりません。
「動力脱穀機」、
バインダーで刈り取られた稲を発動機によって動く脱穀部によって脱穀するもので、自走式と定置式の二種類があって、蓮通寺の辺りでは定置式が使われていました。
「コンバイン」
バインダーの稲刈りの機能と脱穀、選別の機能を備えた機械で、バインダーより相当高価になりますが利用する機会が増え、英語で組み合わせる、結合させるという意味でコンバインになりました。
欧米で使われていたコンバインが日本に最初に導入されたのは昭和25(西暦1950)年頃でした、しかし構造や日本の田圃の地盤が違うのと機械が大掛かりだったので普及しませんでした。その後昭和三十七年(西暦1962)日本国内の会社が開発して、それが昭和50年代に入ってバインダー、脱穀機に代わって普及して行きました。コンバインは稲を刈り取るバインダーと脱穀機が合体したmので、一連の収穫作業を一台の機械で行えるようになりました。
それは、刈り取るのが2条刈から8条刈まであって、最初は運転者が歩きながら操作するものがありましたが、それが乗用になり、今ではキャビンがついてエアコンが完備したものまでできてきました。
三角形のデバイダで稲をかき分け、チェーンに取り付けられた樹脂製の引き起こしラグが稲の茎っを垂直に引き起こしながら、バリカン状の刈歯で地面から5センチくらいの高さで刈り取って、稲の向きを保ったまま一列にまとめて搬送部に送って脱穀していくのです。


まとめ

昔は家族総出で何日もかかっていた稲刈りとそれに続く作業が、効率が上がって一日で終わるまでになって便利になり体力的な負担も減り家族総出までしなくて済むようになりました。しかし反面では機械が凄く高価になって、コンバインは一台数百万円以上もするようになって、個人では余程沢山の田んぼを持って稲作を行なっているか、共同で機械お購入することでない限り難しくなってきました。これについては改善していかなければならない課題ではあります。
「恭敬の会」では、稲刈りについて直接関与することはできませんが、便利になった反面、経済的な負担がかかるということについては関与していくことができるのではないかと思うのです。今は便利な世の中になっていますが、人がなくなりお弔いに使える金銭に余裕がない、お骨を納骨するのにどうしたら良いのか悩んでしまうということが増えてきて、仕方なく送骨だけで済ませてしまい、後でもう少しだけでも丁寧にしておけばよかったのにと後悔する前に、お家まで僧侶が伺い、礼拝の対象となる三つ折り本尊を授与し、丁寧にお勤めをしてからお骨を預かり、納骨することで、経済的な負担は少なく、煩わしいこともなく、安心ができることを行っています。
恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、新しいことですが、昔からの丁寧なお供養と同じなのです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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