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節分

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2023.02.03

節分について

節分は各季節の始まりに日で、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日の事です。
季節を分けることも意味していて、最近では主に立春の前に火を指すようになりました。また、この日は「恵方巻」を食べる日としても知られるようになりました。浄土真宗においては宗祖親鸞聖人が『悲嘆述懐和讃』に「悲しきかなや道俗の 良時吉日選ばしめ 天神地祇をあがめつつ ト占祭祀つとめさす」と詠まれていて、日の善悪で吉凶を占うこと、先勝、先負、仏滅、大安、赤口、友引などの中国の陰陽道から来ている六曜思想で、日柄が良くないとか、友引だから葬儀をしてはいけない、こちらの方角は良いとか良くない、といったことを嘆いておられ、それによって、季節の変わり目の行事なども、宗祖が嘆かれたことに含まれると誤解して、節分などの季節の行事を否定されるかたが多いのですが、それは極解しているっことだと思うのと、何もかもを浄土真宗の教義に当てはめて考えるのでは一般世間と遊離してしまい良くないことではないかと思い、恭敬の会の供養につづきて行く事として、また季節の変わり目としての「節分」について取り上げたいと思います。

節分とは

節分は立春、立夏、立秋、立冬の四つの各季節にお始まる日の前の日にことですが、特に江戸時代以降あいをは立春の前日を指すようになりました。旧暦の太陰暦では、立春に最も近い新月を元日として、月(太陰)の満ち欠けを基準として元日と、太陽黄経を基準とした立春はともに新年と捉えられていて、だから旧暦に十二月末に大晦日と立春前日の節分は、年越しの日と意識されていて、節分を今でも年越しと呼ぶ地もある用意です。一般的には「鬼は外、福は内」と言いながら福豆を撒いて、年齢の数もしくは年齢より一つ多くの数に豆を食べて厄除けを行い、玄関に柊鰯を飾って邪気よけとしたりうることがあり、地方によってさまざまな形で行われています。

鬼を払う

季節に変わり目には鬼(邪気)が生じると思われていたので、それを追い払うための悪霊ばらいに行事が行われていました。『延喜式』では、宮中の節分の行事として、土で作られた牛と童子の人形を大内裏の各門に飾るように載せられています。それは「土牛童子」とも言われて、大寒の日の前夜の夜半に立てられて、立春の日の前夜の夜半に撤去されました。『延喜式』では土偶も土牛も、各門での大きさは同じで、土偶は高さ二尺、方一尺五寸、厚さ二寸の板に立てます。土牛は高さ二尺、長さ三尺で、長さ三尺五寸、広さ一尺五寸、厚さ二寸の板に立てます。陽明門、待賢門には青色のもの、美福門、朱雀門には赤色のもの、郁芳門、皇嘉門、殷富門、達智門には黄色のもの、藻壁門、談天門には白色のもの、安嘉門、偉鑒門には黒色のもの立てられていました。『公事根源』の十二月には、「青色は春の色 ひんかしにたつ赤色は夏のいろ 南にたつ白色は秋のいろ 西にたつ黒色は冬にいろ、北にたつ四方の門に また黄色土牛をたてくは ふるは中央土の色なり 木火金水は土ははなれぬ理有」と記載されています。
これは、平安時代の頃から行われている大晦日に疫鬼や疫神を払う儀式の「追儺」(ついな)から生まれたもので、元は中国から伝わって日本に定着していき、現在の節分の元となりました。『続日本紀』の慶運三年(西暦706)十二月の条には、この追儺が始まって、(この年、天下諸国に疫病有、多くの人が死に、はじめて土牛を造り大儺す)と記載されています。これが室町時代に使われていた「桃の枝」への信仰に変わって、炒った豆で鬼を追い払う行事になっていきました。近代になると、宮中の行事が庶民でも行われるようになり、当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺した「柊鰯」を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをするようになっていきました。

豆撒き

節分に豆撒きが行われるようになったのは、南北朝以降のことで、室町時代の応永三十二年(西暦1425)正月八日に節分を記した文書があり、『看護聞日記』には、「抑鬼大豆打事、近年重有朝臣無何打之」と記され、室町幕府の『花営三代記』には、「天晴、節分大豆打役、昭心カチグリ打、アキノ方申ト西ノアイ也」と記されています。このことによって都の公家や武家の間では豆撒きが習わしになっていたことを知ることができます。また、『壒嚢鈔』には、巻一の八十三に「節分夜打大豆事」には、宇多天皇の御世に、鞍馬山の僧正が谷と美曽路池の端にある石穴から鬼が出てきて都を荒すのを、祈祷して、鬼の穴を封じて三石三斗の炒り豆で鬼の目を打ちつぶし、厄災を逃れたとする由来伝説あ記されています。豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、もしくは語呂合わせ「魔目(まめ)」を鬼の目に投げつけて、鬼を滅する、「魔滅」に通じて、鬼に豆をぶつけることによって、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味なのです。

まとめ

「ものさのみいむべからずと、あきらかに諸経の文にもあまたみえたり」と蓮如上人の『御文』に記されているから浄土真宗を信仰している者は、節分などの行事を行うべきでない、主張される人が多くありますが、節分は、日本の季節の行事として六百年以上の歴史があり、定着していて、季節を感じて体調を整えて、また心を新たにし季節を迎え生活をしていくことの一つとしてとらえてていけば、物忌にみあたらないと思うのと、季節の行事を皆で行うことは大事なことではないでしょうか。恭敬の会の送骨「訪問預骨」は、今までのような供養が行えない(行いたくない)方々にもい広く受け入れられていく供養として広がっていきます。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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