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葬儀のお供え物

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2023.01.17

葬儀のお供え

恭敬の会では、諸事情により葬儀を行えなかった方のために、僧呂がお家に訪問して礼拝の対象となる「三折本尊」を授与し、お骨のところに安置してお勤めを行い、その後お骨を預かって、それを本坊にて懇ろに納骨してずっと供養をしていくことを行っていて、僧侶が訪問してお勤めを行うのは「葬儀」に代わるものとしていただけ、葬儀やお勤め等を行えなかったことを悔やむことは無くなり、安心していただけますが、きちんと葬儀を行いたいと思われる方々のためにも。葬儀をおこなっています。
それは葬儀やさん任せでなく、お釈迦様が涅槃に入られた(亡くなった)際の儀を守って行う厳かなものです。その葬儀の荘厳で荘るお供えについて、取り上げます。

葬儀のお供え「根菓餅」に元となる、百味に御食

葬儀のお供えの「根菓餅」の元となるものに、奈良県桜井市の談山神社の「百味の御食」があります。談山神社は、飛鳥時代に後に天智天皇となられる中大兄皇子と大化の改新を成し遂げた中臣鎌足(藤原鎌足)お祭神としてが祀られえている神社で、標高550メートルの高所に位置していて、その談山神社で行われる「嘉吉祭」で神饌(お供え)が「百味の御食」です。「無垢人、花二台、神盃、神箸、にぎしね和稲(米御供)、あらしね荒稲(毛御供)、果実盛御供、ね子ヅテ、倉餅、い飯供、青赤楓枝」などの古式の姿を残した姿で、奉献されます。
「毛御供」は、のぎ芒長い稲の黒、白、褐色穂の三種類が用意され、これらの有芒の稲は、神饌用として毎年栽培されていて、稲にの丈は六尺にも伸びるもので、実った米は黒穂は黒色、白穂と褐穂は赤色で、芒の長い稲は水が不足する所やアルカリ土壌に条件の良くないところでも強健に育つものです。
「果実盛」は、神饌ように育てられている、木の実、果実、野菜で構成され、なつめ、むかご、榧で、又原種の梨の木は、多武峯北山にあって、ゴルフボール大の実が鈴なりになります。ぶどう柿はマスカット大の未熟青い実を盛ります。
樫は『延喜式』にも載っている茂古の森で拾い集められます。
「百味の御食」の百味とは、限りないとも解釈されることがありますが、宝暦十三年(西暦1763)に記された『三番行事附録』には、「傳供二十隊左右四十杯今造一方神供二十杯面図以顕傳供次第」とあって、現実には百台以上の供物が献じられていました。その中でも米や果実、木の実などは高く盛られ調進されます。まず「和稲」は、「米御供」と称されて四台調進され、粒に揃った餅米を赤、黄、緑に色を染めて、白と合わせて四色を用い、椀型の楓木を台にして絵紋型の模様になるように米を積み上げていきます。「荒稲」は、芒の長い稲を用いて、通称「毛御供」とも言われます。白、黒、褐色の三種類の穂を用いて、楓木の台に一穂ずつ糊づけして、頭部に真っ赤なほうずきを載せて、三台調進されます。木の実、果実、野菜に盛り物は、「果実盛」と称せられ、里芋、栗、やま梨、ぶどう柿、どんぐり、榧、枝豆、包橘(こうじみかん)などで調進されます。

本願寺での百味(根菓餅)

浄土真宗でも、本山本願寺では、大正十二年に執り行われた二十二世現如上人のご葬儀までは、葬場野の卓の上に百台の根菓餅が載せられて荘られました。
現如上人は、本願寺二十一世厳如の四男として生誕され、十八歳の時、明治政府から命じられた北海道開拓の責任者として、明治三年北海道に赴かれ、途中寄付を募り、移民勧誘を行われ、主に北陸にて寺の次男三男等や、農家の次男三男なとと共に赴かれ、北海道の開拓をされ、(北海道に東本願寺のお寺が多いもはその結果です)、幕末の禁門の変の際に類小sてしまった本願寺の伽藍の再建を成し遂げられました、明治四十一年に法主を彰如上人に譲り、退隠され東京に住われ大正十二年享年七十二歳にて遷化され、京都本願寺で葬儀が執り行われました。葬儀は本来御堂の外で行うもので、現如上人のご葬儀は古式通りに外で行われ、野卓の上には山の物、里の物、海の物の百味の根菓餅が供えられました。

杉盛華束

根菓餅とともに葬儀にお供えするのは、「杉盛華束」です。八角形の供笥(くげ)に杉なりに盛れれた華束餅で、お餅を供えるのは日本古来から米を大事にすることと、日本人の主食である米を大事に思い、その米で作られるお餅は貴重な物であるからです。

根菓餅 構成

談山神社の百味御食では椀型の楓木の台の上に載せられていますが、本願寺では四方台(三方は三箇所に透かしがあけられて行って後は閉じられていて、白木地だが、四方は葬儀では銀溜、慶事では金溜)の四隅に方立(ほうたて)を立てて、その上に四角形の箱型の供物を貼り付ける台をおき、その四隅には凶事には銀色で左巻き、慶事には金色で右巻きになった般若木と呼ばれる柱を二本ずつ、合計立て、その頂にはケシの花と菊の花の造花を立て、般若木に間の四面に、山の物、里の物、海の物を貼り付けてお供えします。

根菓子餅 山の物

根菓餅の山の物には、山で採れるものを貼り付けます。それは先ず木の実、(くり、どんぐり、くるみ、椎の実、榧に実、むかご、なつめ、銀杏、)、きのこ類(椎茸、松茸、ぶなしめじ、えのき茸、きくらげなどの食用にできるもの)、山菜も山の物ですが、直ぐに萎れてしまうので張り付けてお供絵することは現実ではあまり行われません。

根菓餅 里の物

根菓子餅の里の物は、人里でのもので、落雁(米や豆、蕎麦、栗などから作った澱粉質に粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、型に押して固めて乾燥させた打ち物と呼ばれる菓子)、有平糖(砂糖を煮て作られた飴の一種で、南蛮菓子の一つで、砂糖に少量の水飴を加えて煮詰め、火からおろした後に着色や生計を行う物)、和三盆(香川県や徳島県で伝統的に作られる砂糖を使った砂糖菓子)、煎餅(米粉や小麦粉などを練って薄く伸ばし鉄板などで焼いた菓子)、おこし(加工した穀物を飴で固めた菓子)、八つ橋(米粉、砂糖、ニッキを混ぜて蒸した生地を、薄く伸ばして焼きあげた堅焼き煎餅の一種)、などの干菓子類、饅頭、ちまき、花麩、車麩などの麩、高野豆腐などの凍り豆腐、素麺、蕎麦、うどんなどの乾麺を貼り付けた美濃です。

根菓餅 海の物

根菓餅の里の物としては、昆布、わかめ、ひじき、もずく、海苔、などの海藻類を乾燥させたもにや寒天のようにてんぐさ、おごのりなどのベニ藻類の粘液質を固めたトコロテンを凍結し乾燥させて作られる寒天、を用いて貼り付けるもので、寒天は緑色や赤色に着色してあるものも合うので、貼り付けると色が綺麗です。

まとめ

現在では、メロンやバナナなどの果物の生ものを祭壇に供えたりする様子を良く見受けますが、生ものは葬儀においては供えるべきではなく、乾物を供えるのが本来であり、本義のことなのです。恭敬の会を主宰する蓮通寺では、如来涅槃の儀を守り、本来のお荘厳にてきちんとお葬儀を行っていて、商業主義に迎合することなく行うことが、社会のためのになると考えており、広い人々のためのその一環として「訪問預骨」をおこなっています。

送骨 訪問預骨 恭敬の会

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