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訪問預骨の装束

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2022.10.16

訪問預骨の装束について

恭敬の会の送骨である、訪問預骨の際の装束について。
恭敬の会以外の送骨は、僧侶が訪れてお骨を預かるのでなく、送骨キットと呼ばれるものに、骨壷を入れて郵パック等でただ送るだけなので、僧侶がお伺いすることもなく、お勤めをすることはないのえ僧侶の装束(袈裟や衣のことは衣装ではなく装束と言います)を見ていただくことはないのですが、恭敬の会では僧侶がお伺いして丁寧にお勤めしてからお骨を預かりますから、僧侶の装束を見ていただくことができます。そしてそれはきちんとお供養のおお勤めをすることで、他の送るだけの送骨とは全く違った安心を得られるのです。

装束の流れ、束帯

装束とは、一般的には朝廷や貴族が用いる調度や威儀具などの一揃い、また衣服、武具、馬具、輿車などの様式にかなった装いの組み合わせのことで、装束は元来、御帳台、椅子、庄子、茵、畳などの座臥具、御簾、壁代、几帳、軟障、屏風、障子などの屏障具、厨子、棚、唐櫃、筥、鏡台などの什器類、を正しく敷設し配置すること、庭上の幡、旗、矛、盾、弓箭、などの威儀具の舗設、装備n意味を表す語でした。
平安時代に調度の配置、室内の装飾のことを室礼というようになり、装束の語はおおよそ服装に関して使われる場合が多くなりました。
公家の服装についての規範は古くは推古天皇十一年(西暦603)に定められた「冠位十二階」の制や養老の衣服令などの服制し求められ、衣服令で公服を三種類に分けて「礼服」(らいふく)、「朝服」、「制服」として礼服は五位以上の者が儀式の際に着用し、朝服は(有位の者)位を有する者が参朝する際に着用し、それには文官、武官、女官の区別ああります。制服は(無位の者)位の無い
者、庶民が公事に従う際に着用するものです。
男子の礼服は即位の大礼の際のみになっていき、朝服が儀式にも用いられるようになって、これを礼装化したものが「束帯」と呼ぼれ、晴装束、または昼(ひの)装束とも言い、宿直(とのい)の装束と区別しました。この頃から公家のお衣服の身頃(みごろ)袖(そで)などが広く、大きくなり始めて、とても優雅な様式になっていき、服装の和様化が進みました。
女子については、儀式に臨むことが少なくなっていき、礼服を用いる機会がほとんどなくなって、儀式の時はかんざし、領巾(ひれ)、裙帯(くんたい)を加えて礼装化した朝服を用いて、晴装束としました。女子の重複も長大化していき、襲(かさね)ね着の形式となるとともに、日常では裳(も)を着けずに唐衣(からぎぬ)(背子(はいし)も省略したいったために、これらを着装した姿を「唐衣・裳」または「女房装束」と呼ぶようになり、後世において俗に十二単と言われるのです。


装束の流れ 衣冠

束帯を簡略化したものが「布袴」(ほうこ)、や「衣冠」(いかん)で、朝服に準ずる公服であるため、冠をかぶって衣袍(いほう)を着用します。律令制に基づく公的な生活に用いられる礼服や朝服に対して、一定の規範には従うのですが日常の私的な生活で個人の好みによって着装するのが、褻(け)の装束と称しました。これは男子の「直衣」(のうし)、「小直衣」(このうし)、「狩衣」(かりぎぬ)、など烏帽子をかぶる姿が、女子の「袿」(うちき)や、「袙」(あこめ)、「細長」などの姿があげらます。一日晴といって、その日一日だけ華やかに好みの色や文様の下襲(したがさね)や、「表袴」(うえのはかま)などを着る姿を染装束(そめしょうぞく)と呼びます。童(わらわ)装束として、束帯の場合でも髪形がみずらで冠をかぶらず、脇(わき)を縫わずにあけられた「闕腋」(けってき)の袍を用います。その他には「童直衣」や「半尻」の狩衣、童水干などが親しまれました。童女の装束には「袙」や「汗衫」(かざみ)が用いられて、年少の男女は概ね濃い色、小型の紋様の衣服が用いられて、下級官人で行列の供奉をする随身は、褐衣(かちえ)を着用して、召具装束としました。そのほか下級の漢人が着る水管や退紅(たいこう)、白丁(はくちょう)などは制服のなっがれを汲むものです。女子が旅にでる時には、袿の裾を引き上げて着装して、その形状から壺装束(つぼしょうぞく)と呼びました。陰性以降に流行した「強(こわ)装束」は、服装の輪郭が直線的で剛わばった調子のものを言って、従来のしなやかな線を描くものを「柔(なえ)装束」と呼んで、区別しました。公家の品格を尊ぶ美意識から、自由な気分を表す染文様より、整然と反復する織り紋様を中心として、さらに文様より色彩を重視して、装束の語が示すがごとくに、個々の色彩や文様より全体の様式美を配慮する服装と言えるのです。

恭敬の会の訪問預骨での装束

公家の装束について見てきましたが、僧侶の装束、公家の装束に準じていて、束帯に対応するのが、「袍裳、七條袈裟」で、遺憾に対応するのが「裳附、五條袈裟、差貫」となります。恭敬の会で着用するのは「間衣」(かんえ)と言って江戸時代の公家の平常に着用するものを取り入れたもので、色は黒で、脇から下に「かがり」という飾りの紐がついています。肌襦袢を着て、白衣(はくえ)を着てその上に間衣を着用し、「輪袈裟」もしくは「畳袈裟」を掛け念珠を持ちお勤めします。

まとめ

僧侶は、朝廷での位が与えられていて、「僧正」は二位に、「僧都」は正五位または正四位に、「律師」は五位に叙せられ、それぞれの位に応じた色、法衣を着用しました。現在ではそれらは朝廷から叙せられることはなく、各宗派で決められた法衣を着用するのです。しかし今でも公家の装束を取り入れたものを基本としていて、恭敬の会では江戸時代の公家の平常着装する小道服を取り入れた「間衣」を着用して、お伺いし礼拝の対象の三つ折り本尊を授与し、その前で丁寧にお勤めして、その後にお骨を預かって、納骨いたします。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、歴史的な流れの装束を着用して、ただ送るだけの送骨ではない、丁寧なお勤めをしてお骨をお預かりし、納骨するのです。それによって他の送るだけの送骨とは違って、安心が得られるんりましたです。

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