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訪問預骨を行う蓮通寺の装束

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2022.10.31

恭敬の会を行う蓮通寺の装束について

訪問預骨は、他に行われている、ただ郵パックなどで送るだけの「送骨」と違って、僧侶がお伺いして、丁寧にお勤めをしてから、お骨を預かって納骨し、すっと供養を行うものです。お伺いする僧侶は、「間衣」という、江戸時代に公家が平常の時に着用していた「小道服」を取り入れたものをもとにしたものを着用して輪袈裟もしくは畳袈裟をかけてお伺いたしますが、お伺いしお骨を預かった後に、本坊である蓮通寺にお骨が着い後に、御堂でお勤めして、墓地に納骨するのですが、御堂でお勤めする際には、黒衣を着装し五條袈裟をかけて丁寧にお勤めします。

訪問預骨納骨が、蓮通寺に着いてから御堂でのお勤めの装束、黒衣

僧侶がお伺いしって、お骨を預かり蓮通寺本坊についてからお勤めを行うのですが、その際には「黒衣」(こくえ)に五條袈裟をかけてお勤めいたします。
黒衣は、wikipediaを見ると、(くろご)と出てきて、歌舞伎や人形浄瑠璃で、観客からは見えないという約束事のもとに舞台上に現れ、後見として役者や人形遣いを助けたり、小道具を役者に渡したり舞台から下げたりする係。また彼らが着用する黒づくめの特殊な衣装のこと。黒具(くろぐ)とも言う。などと出てきますが、これは宗教を知らない。もしくは興味がないと思いっている人物が書くとこうなるのでしょう。また別のところでは(こくい)などと読んでますが
んいこれも実際を知らない人が書いているのでしょう。黒衣(こくえ)の黒といいう色は、奈良時代から平安時代、江戸時代までは本来はなかなか染めることができない色で、何度も何度も染めを繰り返してやっと黒い色に近づけることができるのであって、朝服でも天皇陛下や皇太子の色を除いて一番高位の色でした今でも神職の装束で一番高位の色となっています。だから黒衣を宗祖聖人が着ていた一番下の位の衣などと言う物事を知らない僧呂が申したりすることがありますが、それは宗祖成人は墨染の衣と墨染の袈裟を着用しておられたのを、勘違いしていることなのです。黒衣は「直綴」(じきとつ)とも言って、僧侶が平生の時に着用」する衣で、直綴衣とも言い、上衣の褊衫(へんさん)と下衣の裙(くん)が別々のものだったのが、中世に直接縫い合わせられて着用するようになって、直綴となったものです。

色直綴(いろじきとつ)、道服(どうぶく)

黒衣、直綴の色が黒から、様々な色に染められたものを「色直綴」や「道服」と言います。外陣では色直綴といい、内陣では道服と申して、襞の仕立てが少しだけ異なります。内陣用の道服のほうが少し襞のの数が多くなっていて、外陣の色直綴のおほうが動きやすくなっていて、お経(無量寿経、觀無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経を読誦する際に、お経を配る配経役、音木(夜の火の用心で歩くときや相撲の時に打つ拍子木のようなもの)を打つ音木役や、キン(俗におりんと呼ばれる鳴り物)のお経のキンと平キンという添えのお勤めなどに用いられるキン)を打つ役のキン役、内陣や左右の余間で、お経を配撤する役の掛役などは動きが大池ので、動きやすいように襞が寡うなっています。報恩講の際に結願以外の晨朝では色直綴、道服を着用します。

裳附

公家の装束は衿とんぼでとめる襟なのに対して、僧侶が着用する裳附の衿は垂領(タレクビ、衿の上前と下前とを斜めに合わせるものになっていて、縫腋の裾に足さばきの良いようにつける横ぎれの襴を折りただんだ入襴にしたもので、襞のようにも見える「裳」がついているところから「裳附」(もつけ)と呼びます。
襦袢に白衣(白小袖)着て、重い法要の際には「単」(ひとえ)を着て差貫袴をはいてその上に裳附を着て、石帯(せきたいと呼ぶあて帯、束帯の場合は石が付いた帯ですが、裳附の場合は石は無くあて帯です)その上に五条袈裟を掛けます。これは朝服では「衣冠」に相当します。軽い法要の場合には差貫袴をはかずに、裳附だけを着用して五條袈裟を掛け、単は切る人は現在では稀になっています。東本願寺では遊速に基づいた色や構成になっていますが、西本願寺では明治以降は有職を無視したものになっています。天台宗や真言宗でも遊速に基づいた斧になっています・浄土宗、禅宗では有職とはあまり関係のない衣になっています。

七條袈裟

袈裟のうちで、浄土真宗で最高の袈裟が「七條袈裟」です。本願寺十一代の顕如上人の時に、准門跡に補任され、七條袈裟を着用にして親鸞聖人の御遠忌をとお勤めすることになり、大坂本願寺に身を寄せておられた衣紋道の山科言継卿によっ有職の法体装束が伝えられました。朝服の束帯に相応し、大口袴をはき、単を着て、表袴をはき、下襲を着て、その上に袍裳という、即位の大礼にお召しになる「礼服」を簡略化した、上と下が別れた衣を着て、その上に七条袈裟をかけ修多羅をつけます。右手には檜扇を持ち、左手には念珠を持ちます。葬儀の際に導師は七条袈裟を着用します。蓮通寺では毎年の報恩講のお最後のお勤めである結願日中の法要では住職が袍裳七條でお勤めします。
七条袈裟は金蘭でできているので、こんな派手な衣袈裟ではいけないなどとおっしゃる方がおられますが、人の人生の最後の儀式である葬儀に、最高の装束でお勤めしえお供養することこそ大事だと思います。

輪袈裟、畳袈裟

間衣の上に掛ける袈裟としては、輪袈裟と畳袈裟があります。
輪袈裟は略式の袈裟で、幅6センチくらいの綾布を輪のように縫ってあり、首から胸にかけてたらします。天台宗、真言宗、浄土真宗の東本願寺では用います。畳袈裟は五條袈裟を折り畳んだ形ということで、畳袈裟と言い、広げたら五條袈裟の大きさになることで。それを略した略畳袈裟があります。東本願寺では肩から掛けて胸の辺りの一番下の部分の小威儀と呼ばれる紐を結んで、五條今朝に準じるようにしますが、西本願寺では、小威儀の部分がつながっていて、畳輪袈裟ともいうしています。月参りやお墓でのお勤めの際にはこのお袈裟をかけます。恭敬の会で依頼をされたお家いに伺ってお勤めする際にも、このおけさを掛けてお勤めいたします。

五條袈裟

僧侶が身につける布から始まった詣、サンスクリットで「壊色、混濁色」を表すカーシャを音訳した「袈裟」のうち、托鉢なので、施された布を五條の筋に縫い合わせたものを「安陀会」(あんだえ)と言って五條袈裟のことです。日本においては紋を散りばめているのですが、本来施された(布施)された布を縫い合わせることが始まりなので、通常は紋が揃っていることはなく、紋は欠けているように仕立てます。ただし天皇様から下賜された袈裟は居並びと言って紋が揃っています。これは東本願寺にだけ残っています。

まとめ

恭敬の会では、依頼を受けてお家に伺う際は、間衣畳袈裟、もしくは輪袈裟でお伺いし、お勤めいたしますが、お願いがあれば、伺ってからお家で黒衣に替え五条家さでお勤めもいたします。これは願い人さんが亡くなった方に対して、丁寧にお供養wして欲しいと思われて、装束を替える懇志は発生しますが、それに応じるようにいたしております。それより、負担が少なくと思われる方は通常通りに、間衣に畳袈裟もしくは輪袈裟でお勤めは丁寧に心を込めて行います。
恭敬の会はただ送るだけの送骨でなく、僧侶がお伺いして礼拝の対象の三つ折り本尊を授与し、その前で丁寧にお勤めするので、依頼される方も安心が得られるのです。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、安心を得られる供養です。

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