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送り火

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2022.08.16

今日は五山の送り火

八月十六日は 京都五山の送り火です。十三日に迎え火で先祖をお迎えし、十六日に送り火で先祖がお帰りになるというもので、これは仏教の行事から始まったのではなく、日本の古来からの祖霊信仰からです、それと仏教の盂蘭盆会が結びついてできあがったのご日本のお盆で、京都では大文字山の「大」、松ヶ崎の「妙」「法」、西賀茂の「船形」、大北山の「左大文字」、嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」の五つの山っで点灯されるので、五山の送り火と言います。昔はもっとあったようです。
許と御所から五山とも見えるようということですが、今では建物の高さが高くなって、大文字はよく見えますが、他の四つは見えにくくなっています。

大文字

東山の銀閣の裏手にある大文字山(如意ヶ嶽)に午後八時ちょうどに点火されます。火床の数75で、一角は80メートル、二角は160メートル、三角亜120メートルの大きさで、弘法大師空海が送り火の法要を始めたとされていて、弘法大師の「大」と弘法大師を祀った、この山の下に大師堂と呼ばれる小さなお堂があって、大師堂の「大」との二つがダブル大として 大文字が定められているのです。

妙法

「妙」は松ヶ崎西山、火とこは103ヶ所、大きさは100メートル、「法」は松ヶ崎東山、火床は63ヶ所大きさは80メートルで、西山は別名を万灯籠山、と言い、東山h大黒天山と言います。市街地から比較的低い位置です。麓の湧泉寺の寺伝では、徳治二年(西暦1307)に松ヶ崎村の村人が日蓮宗に改宗したのを契機にして、妙顕寺の日像が南無妙法蓮華経から「妙」を、下鴨大妙寺の日良が南無妙法蓮華経から「法」とって描いたとされています。

船形

西賀茂船山で、火床は79ヶ所、大きさは縦が130メートル、横が200メートルで、別名船山」に転倒され、西方寺の開祖である、慈覚大師円仁によって始められたと伝えられ、承和十四年(西暦847)円仁が唐からの渡航の際、暴風雨に見舞われ、その時南無阿弥陀仏と称え他ところ、嵐がおさまって無事に帰ることができたという故事に由来して、舟の絵が山に描かれたと伝わっています。

左大文字

金閣寺の裏手の大北山 左大文字山で 火とこは53ヶ所、大きさは一画48メートル、二画68メートル、三画59メートル
この山は険しい岩山で、昔は杭を立てた上にかがり火を燃やしていたので、固定された火床がな、毎年形が変わっていたと言われていて、延宝元年(西暦1673)の『山城四季物語』に載っていることから、その辺りの年代には始められたと思われます。現在では栗石とコンクリートで作られた火床が造られていて、他の山では一斉に点火するのですが、左大文字は筆順に沿って添加されます。

鳥居形

嵯峨鳥居本 曼荼羅山(別名 仙翁寺山)、火床108ヶ所、大きさ 縦76メートル 横72メートル 鳥居の形になった経緯についてははっきりしてなくて、愛宕神社のが関係していると言われていて、火床でもやす護摩木が 他の送り火と違っていて松を使うことから、松ヤニが燃える影響で、火の色合いが他の山とは違ってオレンジがかって色合いになっています。



京都だけでない他でも

送り火は、京都で始まりましたが、京都だけでなく他の地方でも行われています。神奈川県の箱根では強羅夏祭り大文字焼として、大正十年から行われていて、最初は避暑客の楽しみとして始まったのですが、現在は箱根全山の有縁無縁の精霊を祈ってという行事になっています。また秋田県大館市でも 大文字焼が行われ、大館市の東にる鳳凰山で昭和四十三年(西暦1968)から麓の住民が中心となり、物故者の慰霊と市民の無事息災を願う行事として行われています。また奈良でも八月十五日に戦没者慰霊を目的として、昭和三十五年(西暦1960)に始められ、現在では災害等で亡くなった人々も含めて慰霊を行うとともに世界平和を祈る郷地として、春日大社の飛地境内である高円山で行われています。

まとめ

五山の送り火はなき先祖方をお迎えして、それがお戻りになるのをお送りするもので、日本人の先祖を想い大切にする心から行われることです。それに対して浄土真宗の教学を学びそれが一番だと思っている人たちは。そんなことは俗信のことで迷信以外の何者でもないから、する必要もないし、興味もないとおっしゃる方がおられます。しかし、それはあくまで頭で考えた観念のことで、一般社会の人々は対摂津にしておられ、先祖を大事に想うこと昔から大切に守られ、受け伝えられてきたことが、地域をまとめ心を同じくしていけるもとであり、社会をも良くしていき、それがやがて自分にも帰ってくるのではないでしょううか。人々が大事に想い何百年も続けてこられたのは、それだけの意味があるのです。一概に観念だけで俗信だ迷信だけの言葉で片付けてはいけないのではないでしょうか。だから、自分の都合ばかりになって、亡くなった方を粗末にし、後で後悔することになることが起こってしまうのです。
「恭敬の会」は、後で後悔することのないようにし、負担が少なく亡くなった方を大切に想い、安心が得られるのです。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養はそのためにあります。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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