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道の駅

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2022.11.02

道の駅について

全国各地に「道の駅」があります。主な国道や地方道の横にあり、その地域の農産品や特産品が直売されていて、食事もできるところで、それぞれで特色があり、道の駅巡りをされる方も沢山のおられます。蓮通じに近くにも国道8号線に面して「塩津海道 あぢかまの里」という道の駅があって、地元で取れる野菜やお米が直売されて、たいそう賑わっています。

道の駅とは

「道の駅」は、各地方自治体と道路管理者が連携して設置するもので、国土交通省によって登録されるところの、休憩施設、地域振興施設などが一体となっている道路施設です。平成三年(西暦1991)に実験的に始まり、平成五年(西暦1993)に正式に登録が開始されました。道路を利用する人たちのための「休憩機能」(トイレや休憩所など)、道路を利用する人たちや地域の人々のための「情報発信機能」(地域に何があるかとかを知らせる、道路状況を知らせる等)、道の駅を核としてその地域の町同士が連携する「地域の連携機能」という三つの機能を併せ持って、令和四年(西暦2022)の時点で全国の登録数は、1198箇所あります。

道の駅の概要

名神や東名といった高速道路には、24時間自由に利用できる休憩所のサービスエリアやパーキングエリアがあって、高速道路の利用者は便利に使っていたのだるが、一般道にはそのような休憩所はほとんどなく、民間が開業して営業するレストランや商業施設である「ドライブイン」が休憩所の役割を担っていたのですが、実際はそのドライブインで飲食するために利用する者しか利用はできなかったのであり、24時間自由に利用できるといったものは無かったのです。
「道の駅」の制度が創設された背景は、一般道路でも誰もが24時間自由に利用できる休憩施設が欲しいとの声や要望があったことや、その休憩施設をドライバーだけのものではなく、その地域の文化、名所、特産品などを活用したサービスを提供して、道路を利用する人々や、地域の人達の情報交流や、地域連携と活力のある地域づくりを促進して、その地域の活性化を図りたいということで、誕生しました。
道の駅は官民提携の往路ジェクトで、省庁間の壁を越えて、各自治体と国土交通省が連携して、計画的に地域振興施設の整備促進た、一般道路の休憩設備を併せて行うことが目的となっています。

道の駅の沿革

平成三年(西暦19910山口県、岐阜県、栃木県の三ヶ所に実験的に設けられたのが皮切りです。平成五年(西暦1993)の四月に、第一次分として全国の103箇所の道の駅が登録され、その後は主に地方の幹線道路に整備が始められて、道の駅お通じて地域の農産物の販売は増加し、情報発信によって観光客が増えるのどして反響を呼びました。平成十二年(西暦2000)には、全国で550箇所を突破して、その後も道の駅は増え続け、それまでは東京などの大都市周辺には存在しなかった血r度、平成十九年(西暦2007)東京都八王子市に道の駅が開設され、47都道府県の全てに道の駅が設置されることになりました。

道の駅を設置するには

道の駅を設置する方法は、一体型と単独型があります。一体型では、道路管理者による簡易パーキングエリアの設置計画と一緒に整備する場合には、道路管理者が休憩機能と情報提供機能の整備をして、道の駅の設置者の市町村等が物販飲食施設などの地域振興機能のための施設を整備するのです。単独型では、休憩機能、情報提供機能、地域振興機能の施設の全てを市町村等が整備するのです。
どちらも、実際の運営は設置者の市町村等が直接行う場合や、公益法人に委託したり指定管理者制度によって民間企業が受託している場合があります。
道の駅を設置する間隔は、高速道路のような明確な基準は設けられていないのえすが、おおむね10km程度の間隔があるように計画されています。
「塩津街道あぢかまの里」からは、国道161号線にある「マキノ追坂峠」までは10キロ、南の湖岸道路にある「水鳥ステーション」までは15キロ離れています。

近くの道の駅

近くにある道の駅は、「塩津海道あぢかまの里」です。
平成10年(西暦1998)ごろから、地元の有志の人達が、国道8号線の横のJAのライスシセンターの横の土地で、掘立て小屋のような趣のある建物を建てて、「水の駅」のいう名前を付けて、地域の農作物や、琵琶湖で取れた小鮎を飴炊きしした物や、鮒寿司などを販売していたのを、平成十八年(西暦2006)、当時の西浅井町が土地を造成し建て物を建てて、「奥琵琶湖水の駅」として運営開始され、それが平成二十一年(西暦2009)道の駅として登録され、翌年三月十三日にトイレ、情報発信施設、休憩所が完成して道の駅として「塩津海道あぢかまの里」として開駅されました。その後も南側に交流館がたてられて、研修等に利用されるようになり、水の駅販売所の建物の西側に琵琶湖水運を担っていた「丸子船」の展示移設を作り、地域の産品の販売と食事と共に大変好評です。
塩津海道とは、塩津と敦賀の間が、琵琶湖と日本海を繋ぐ最短距離で、道の駅の南の大川の河口近くから奈良時代と平安時代の港と神社の遺跡があり、発掘され都の物や北国、大陸の渤海の品などが出土したことから分かるように、古来から北国から京都に運ぶメインのルートになっていて、街道ではなく海道と言われていたのと、塩津の別名が「あじかまの里」と呼ばれていたことから、道の駅の名前が「塩津海道あじかまの里」となりました。 

まとめ

道の駅は、一般道をより便利にし、地域振興にも寄与して、地域活性化のもととなっていて、農家の人々にとっても無くてはならないものとなっていますが、販売される農産物が季節によっては少なくなることや、農産物を出される農家の高齢化、後継者不足などが問題となってきていて、これらをどう解決していくかが課題ですが、これは他の社会一般にも言えることです。
今の社会は、自分の目の前のことだけを思って、周囲や先祖に想いをめぐらし、先祖からのことを受け伝えることをしなくなっているからではないでしょうか。それを想えるようにしてもらえるきっかけ作りをお手伝いするのが「恭敬の会」で、恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、負担が少なく、煩わしさが無く、先祖を大事にしていけるのです。

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