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達磨

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2022.10.05

達磨さん

十月五日は、達磨さんおの命日です。
達磨さんはインドから中国に仏教を伝えた僧侶の一人で須。達磨さんのが坐禅する姿を模して、日本で置き物が作られ、縁起物として広く親しまれていて、よく選挙の場面で当選しったら、片方の目に筆で目を描き、願いが叶ったことを示したりということをテレビの画面に映されることがあります。

達磨さんとは

達磨さんとは、中国の禅宗の開祖とされているインドの僧侶で、達磨、達磨大師、達磨祖師などと言います。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表します。中国の東魏で北魏の都の洛陽における仏寺の繁栄の様子を描いた記録の『洛陽伽藍記』や、中国の禅の転籍の『続高僧伝』などの唐代より以前のものは達磨と表記していて、弟子の曇林が伝えるところでは、西域南天竺国の国王の第三王子として生まれ、中国で活躍した僧侶で、西暦5世紀から6世紀前半の方で、唐代の律宗の僧で南山律宗の開祖である道宣が伝えるところでは、南北朝の宋の時代に、宋境南越にやってきたようです。永安元年(西暦528)十月五日に百五十歳で遷化したとされています。

達磨大師の生涯

北宋の時代の景徳年間(せいれき1004〜1007)に宣慈禅師道原によって編纂された禅宗所依の史伝である『景徳伝燈録』では、達磨大師は中華五祖、中国禅の祖師とされていて、この燈史によれば釈尊から数えて二十八代目とされていて、南天竺国香至において国王の第三王子として生まれ、中国南方に渡海して洛陽の郊外嵩山少林寺にて面壁を行い、確認されているだけで道育、慧可の弟子がいます。彼の宗派は当初は楞伽宗と呼ばれました。普通元年(西暦520)達磨は海を渡って中国に布教に来たり、九月二十一日に広州に上陸しました。当時の中国は南北朝に分かれていて、南朝は梁が治めていて、梁の武帝は仏教を厚く信仰していて、天竺から来った高僧を喜んで迎え、「帝は質問した、朕は即位して以来、寺をお造り、経を写し、僧を得度すること数えきれない、どんな功徳があるだろうか。師は言った、どれも功徳はありません、帝は言った、どうして功徳がないのか。師は言った、これらはただ人間界、天界の小果であって、煩悩を増すだけの因です。影果物をたどっているようなもので、存在はしても実態はありません。帝は言った、真の功徳とはどのようなものだろうか。師は答えた、浄智は妙円デスが、その本体はそもそも空です。このように功徳は俗世間で求められるものではありません。帝は質問した、聖諦の根本的意味はどのようなものだろうか。師は言った、この世あはがらんどうで、聖なるものなどありません。帝はいった、では朕と対座しているのは誰なのか。師は言った、認識できません。帝はその意を理解できなかっった。師は機縁が合わなかったと知り、この月の十九日にひそかに江北に帰った。」というもので、帝は後悔して、人を遣わせてダルマを呼び戻そうとsたのだが、叶わなかったのです。
達磨大師はは嵩山少林寺において壁に向かって九年の間坐禅を続けたとされているんですが、これは誤解してできた伝説だとも言われていて、壁観は達磨大師の宗旨の特徴をなしていて、「壁となって観ること」すなはち「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」のことであって、これは後に確率した中国の禅において、六祖の慧能の言葉とされる『座禅の定義』などに継承されています。
大通二年(西暦5290十二月九日、神光という僧侶が自分の臂を切り取って決意を示して、入門を求めたところ、達磨大師は彼の入門を認めて、名を慧可と改めました。この慧可が禅宗の第二祖で、中国に禅宗が広まっていきました。
永安元年(西暦528)十月五日、百五十歳で遷化されたとせれています。諱は「円覚大師」で、ころによって達磨大師とも言われるようになりました。

達磨大師の影響

達磨大師によって中国に禅宗が伝えられ、それは六祖の慧能にまで伝わったことになっていて、それがさらに臨済宗、潙仰宗、雲門宗、曹洞宗、法眼宗の禅宗五家にわかれていき、日本にも大きな影響を及ぼしました。禅宗では達磨大師を重要視して、「祖師西来意」といえば「仏法の根本のい意味」ということなのです。達磨大師が面壁の九年の座禅によって手足が腐ってしまったという伝説が起こり、玩具としての「だるま」ができたのです。丸みをつけた底の近くに土製の重りを入れて重心を低くすることで、倒そうとしても起き上がる人形の「不倒翁」が、玩具の「だるま」の源流で、これが室町時代に日本に伝わって「起き上がりこぼし」が作られるようになり、江戸時代になって面壁九年と伝えられる達磨大師の座禅姿を、おきあがりこぼしに写し、不撓不屈の思いを込めたと考えられます。

まとめ

達磨大師は、禅宗の祖師で、厳しく座禅をされ、それが中国に伝えられ、日本に臨済宗、曹洞宗が伝わり、日本の宗教に大きな影響を与えました。いろんなものを省いて座禅することが大事だと示しているのです。これは我々浄土真宗が他に惑わされずただ念仏するのみ、というのと同じではないかと思うのです。「恭敬の会」は、今まで行われてきたように葬儀が行えない、供養のお勤めをできない、お墓に収めることも難しいという人達のためにも、難しい煩わしいことこともなく、負担が少なく、シンプルにお供養するために、僧侶がお伺いし礼拝の対象の三つ折り本尊を授与し、その前でお勤めをしてから、お骨お預かって納骨するという、色々なものを省いてシンプルにお供養いたします。恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養はシンプルですが丁寧にお供養できるものです。

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