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醍醐味

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2022.08.01

醍醐味について

山に登って、頂上に着いて景色を眺め素晴らしい眺望だったりしたら「これが山登りの醍醐味だ」と思わず言ってしまうことがあります。それは物事の本当の面白さや、物事の深い味わいを意味する言葉で、山に登って素晴らしい景色を見られたという感激をし、その経験をあらわしたいときに言ったりします。ところでその「醍醐味」というのも仏教の言葉なのです。

醍醐味とは

醍醐味は「味」とてついているところから食べ物に関係するのです。
仏教で牛や山羊などの乳製品の醗酵も段階は、1(乳)、2(酪)、3(生酥)、4(熟酥)、5(醍醐)の五つで、この五つの味を五味と呼び、あとになるほど美味だとされていて、醍醐は一番最後だから最も美味しいとされ、牛乳を加工し、濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁とされて、バターのようなもの、もしくは現代のカルピスや飲むヨーグルトのようなもの、または「蘇」のようにレアチーズのようなものとも思われ、最上の味であると言われ最高のものが醍醐味と言われるようになりました。

醍醐味の使い方

醍醐味の使い方として、「醍醐味の一つ」という使い方で、いくつかの醍醐味がある中で、その一つだけを取り上げる場合に用いて、例えば「こんなに暑い中でも体を動かして言い汗を掻くことが、スポーツの醍醐味の一つだ」と言われたりする時です。
また、「一番の醍醐味」と使う場合は、様々なことを行ってみて新たなことを知ることができた場合や再確認できたときに用いて、例えば「今まで色々建築の勉強をし建物を建ててきたけれど、建てるたびに新たなアイデアが浮かんでくる、それが建築の醍醐味だ」というようい言ったりする時で、他にも色々な使い方もあるようです。

醍醐寺

醍醐味から来ていて、よく耳にするのが「醍醐の花見」ではないでしょうか。
醍醐の花見とは、慶長三年(西暦1598)豊臣秀吉が京都の醍醐寺の裏に山麓に尾て催した花見のことで、先ず醍醐寺について説明すると。
醍醐寺は貞観十六年(西暦874)、弘法大師空海の孫弟子の理源大師聖宝が如意輪観音を笠取山の頂上に迎えて開山し、聖宝は笠取山の山頂を「醍醐山」(仏教の聖典にも出てくる乳製品の最高の美味たるもの)と名付け、如意輪堂等と堂宇を建立しました。醍醐寺は凄く高い山の上の醍醐山一帯(上醍醐)を中心にして、修験者に霊場として発展した後に、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺として加護を与え、延喜七年(西暦907)には醍醐天皇の発願によって薬師堂が建立され、延長四年(西暦926)には、醍醐天皇の発願で金堂である釈迦堂が建立され、醍醐山麓の広大な土地に大伽藍が(下醍醐)が出来上がって、理性院、三宝院、金剛王院、無量光院、報恩院の醍醐五門跡もできて発展していったのです。
時代が下り、応仁の乱などで下醍醐は凄く荒廃し、五重塔(写真、国宝)だけが残っていたのです。安土桃山時代になり、豊臣秀吉が醍醐寺八十代座主であった義演に帰依していたので、醍醐寺は復興され金堂も紀州から移築され三宝院も今に見られる程の立派さになったのです。

醍醐の花見

醍醐寺八十代座主義演は、豊臣秀吉の帰依を受け伽藍を復興し、写真のような三宝院唐門のような豪華な建築も出来て言ったのですが、秀吉の死が近いことを感じ取り、一代の英雄の最後に相応しい大舞台をしつらえっようとはたらき、醍醐の花見を行うことになりました。
慶長三年(西暦1598)三月十五日、伏見城から近親者や諸大名の女房や女中が約千三百人を従えた催しで、輿の順が記録に残っています。それは一番目に北政所、二番目に淀殿、三番目に松の丸殿、四番目に三の丸殿、五番目に加賀殿、それの後には前田利家の室が続いて、宴会の席で北政所の次に盃を受けるのを、淀殿路、松の丸殿が、淀殿は世継ぎの秀頼の生母であるから、松の丸殿は淀殿の出身の浅井氏が、松の丸殿の出身の京極氏の臣であったこと、松の丸殿の方が早く側室になったことなどの理由で争ったのですが、前田利家の室(まつ)がこの席では客人であるからと、前田利家の室が先に盃を取ることで治っったという話まります。この醍醐の花見が済んで五ヶ月後に秀吉は無くなったのです。

秀吉の最後が

太閤秀吉の最後が、醍醐ということで、人生の最後に心残り(幼い秀頼の行く末のことや朝鮮出兵のこと等)もたくさんあったでしょうが、戦の中でも数々の醍醐味(食べ物でなく、一般的に使っている意味の)はたくさん味わってきたでしょうが、本当んい人生の最後に最高の花見の味を味わえたことは、太閤秀吉にとっては醍醐味を味わえて良かったことなのでしょうね。

まとめ

我々も、太閤秀吉の時代の人も、もっと古の人達も、現世を生きているうちには(食べ物でない、一般的に使っている意味の)醍醐味を多かれ少なかれ味わっているのでしょうね。それに気づかずに過ごしている、または 忘れている、満足していないことが多いのかもしれませんね、だから次から次へと欲求が湧いてきて、しかしそれが新しいことや物を出現させるエネルギーであり、元であり「因」ともなっているのでしょうが、足りるということも知らないとそれこそ煩悩まみれになってしまうのではないでしょうか。足りるということを知るには人や物を大切にし、自分だけで成しているのではない、ということが大切で、それを知る道標が仏様の教えであって、今まで仏様の縁がないと思っていた人達が、人が亡くなって形は様々ですが弔いをして、感謝の念を持つことです。そのお手伝いをするのが「恭敬の会」で、恭敬の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は広く世間の人達の安心を得られるのです。

恭敬の会 の送骨 訪問預骨

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