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重陽の節句

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2022.09.09

重陽の節句

九月九日は「重陽の節句」です。
古来から、中国では数字でも奇数は陽で、偶数は陰と考えられていて、奇数が重なる日を祝って節句としました。それを日本でも平安時代に取りれて、三月三日の桃の節句、五月五日の端午の節句とかで、その中でも九は奇数の中で一番大きい数字で、九が重なる九月九日を「重陽(ちょうよう)」と呼んで、
一月七日、人日の節句(七草の節句)、七草粥を食して、その年の健康を願う。
三月三日、上巳の節句(桃の節句)、雛人形を飾って、ちらし寿司や蛤の吸い物を食べて、女子の健やかな成長を願う。
五月五日、端午の節句(菖蒲の節句)、五月人形を飾り鯉のぼりをあげて、男子の健やかな成長と立身出世を願う。
七月七日、七夕の節句(笹の節句)、短冊に願いを書いて笹に吊るしして夢の成就の願う。
九月九日、重陽のお節句(菊の節句)、菊の薬効によって健康を願う。
の五つの節句の一つとして行われる行事となりました。

重陽の節句とは

陽が重なると書いて、「ちょうよう」と読まれるのが重陽の節句で、無病息災や子孫繁栄を願って祝いの宴を催して祝いました。その一方で、陽の数字が重なると災いが降りかかるて不吉とも考えられ、災いが起きないようにと九月九日に邪気をはらう風習が定着したとも言われています。
この重陽の節句は本来は旧暦で行われて、現在で言えば十月の中頃にあたります。十月の中頃には菊の花が綺麗に咲いて、見頃を迎える時期です。菊の花は邪気をはらう力を持っている霊草だと思われていて、重陽の節句には菊の花を鑑賞したり、菊の花を浮かべた酒を飲んで、無病息災や不老長寿を願っていました。
また、菊に錦を被せておいて、その二式に溜まった夜露で肌を拭うと若さを保つことができるという言い伝えもあって、その「着せ錦」は、この時期の和菓子の題材としても知られ、季節感を大切にする茶席でも好まれています。
以上のように、重陽の節句はその季節の花である菊を用いるので、「菊の節句」とも言われて、江戸時代には庶民の間にも広く行われる行事でした。
ところが明治時代になり、太陰暦の旧暦から太陽暦の新暦に切り替えられるようになり、五節句の廃止令まで布告されたのですが、他の節句は新暦になっても行われているのですが、重陽の節句は新暦だと菊も蕾にもなって無く、まだ気候も暑くて、季節感を失ってしまってあまり行われなくなったと考えられます。

重陽の節句にちなんで行われている行事

新暦となり季節感が失われた重陽の節句えすが、日本の各地では形は変わっていても。面影を残している行事があります。
九州で行われている「くんち」
「くんち」とは九州の言葉で九日を意味していて、収穫を感謝して行われている秋の祭りのことを言います。「長崎くんち」「唐津くんち」「博多おくんち」の三つの祭りを「日本三大くんち」と呼ばれて、その中でも「長崎くんち」は、四百年近く続いていて、寛永十一年(西暦1634)長崎の諏訪神社で行われ、神前で謡曲「小舞」を豊前中津出身の遊女であった高尾っと音羽の二人が奉納したのが始まりだとされ、キリスト教徒を鎮圧するために長崎奉行の榊原飛田守の肝煎りで始まられた祭りで、「龍踊り」(画像)や「鯨お潮吹き」「太鼓山」「阿蘭陀万才」「御朱印船」などの南蛮、硬毛の文化の風合いを色濃く残した、ダイナミックな催し物が特徴的です。
「後の雛」
「後の雛」の催しが、江戸時代に庶民から始まったとされていて、三月三日の上巳の節句において飾った雛人形を、片付けた後の九月九日の重陽の節句に再び飾ることで、長寿を願うという意味がある風習で、桃の節句は女子の成長や幸福を願うのに対して、菊の節句である重陽の節句は大人の女性の健康や長寿を願う節句なのおで、「大人のひな祭り」とも呼ばれています。
「菊合わせ」
平安時代に行われた宴で、菊の花を愛ながら詩を詠み合うことを「菊合わせ」と読みました。これの内容が少しずつ変化して、育てた菊の花を持ち寄って美しさを競う、今で言う品評会のような催しを菊合わせと言うようになったのです。

重陽の節句にちなんだ食文化

腸腰筋にちなんだ食文化があります。
「菊酒」
気品があり皇室の紋として用いられ、「高貴」の花言葉がある菊の花です。不老長寿の願いを込めて、花びらを蒸して冷酒に浸しつけ、高貴な花の香りが酒に移して飲むのが「菊酒」です。
「栗ご飯」
栗は秋の味覚の代表的なもので、栗は秋になると出回ってきて、重陽の節句の行事食材
野のです。江戸時代から始まったと言われていて、庶民の間では重陽の節句を「栗の節句」などと言われたりもしました。
「秋茄子」
重陽の節句には秋茄子を食べるとも言われています。それは「九日に茄子を食べると中風にならない」という言い伝えからきたもので、中風というのは脳卒中などによって半身不随になることを言いますが、その主な原因の生活習慣病の予防を意味したのだろうと思われます。

重陽の節句の仏花

蓮通寺においては、九月九日には重陽の節句の仏花を立てます。
真はヒバを用いたり松を用いますが、胴と前置きのところの色ぎりには全て菊の花にして、とても綺麗で美くしい仏花になります。
菊の花を葬式の花などと」言う人がますが、それは吉田茂元総理大臣の国葬を行う時に、宗教色を出さないようにするために、こともあろうか高貴でめでたい花の菊で祭壇を作ったことが始まりで、それ以降は白い菊の祭壇が広く世間でもつくられるようになってしまったからなのです。それが今は葬儀屋さんが聞くだけではもからないから、「故人がお花が好きだったから」などという屁理屈をつけて色とりどりの花で、しかも最近では胡蝶蘭まで葬儀の祭壇に用いるようになってきたのは、とんでもない間違いです。

まとめ

重陽の節句は新暦になってから、季節感がずれてしまったのであまり行われなくなってしまったのですが、全国各地には重陽の節句にちなんだ行事や食文化は残っていて、大事に伝えられているにです。これは現代の風潮には合わないからと廃れたり、これ幸いにやめてしまうのではなく、意味を間違えず残して伝えることは大切だと我々に教えてくれているのです。お寺でも重陽の節句のお花があり、それを立てて参詣者の方々に重陽の節句をお知らせしてるのです。「恭敬の会」では、今はみんながしないからと言ってお参りをせずに、ただお骨を送るだけっというのでは、亡くなった方に対しても失礼で、悲しく、のちに後悔する方が多いのを、負担は少なく煩わしいこともないけれど、丁寧にお勤めをしてお骨を預かり、納骨をいたします。それによって後悔することもなく、安心した心持ちになれるようにしていきます。
今日家の会の送骨、訪問預骨、永代経、永代供養は、皆さんの安心ができることです。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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