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除夜の鐘

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2023.01.27

除夜の鐘について

恭敬の会では、一般的に行われている「送骨」が、郵便のゆうパックでお骨をただ送るだけなのに対して、「訪問預骨」という、僧侶が依頼された方のお家に訪問して、礼拝の対象としていただく「三折本尊」を授与して、その前でお勤めをしてお骨を預かって、それを本坊蓮通寺煮て丁寧にお勤めをして納骨し供養することをおこなっていて亡くなった方も残されたご家族縁者の人達も安心していただけるのですが、人は生きている時には百八の煩悩があり、それによって生活していく上で苦しみが生まれもがき苦しまなくてはならず、それは生きている内ずっと続くことなので、それを少しでも軽くして楽にするために、毎年大晦日に「除夜の鐘」が各地のお寺で撞かれます。

除夜の鐘について

除夜の鐘は、日本において行われる行事となっていて、大晦日の12月31日の深夜にお日付が変わる頃、すなはち年が新たまる時間に撞かれるもので、百八回撞くのが一般的となっています。中国の宋の時代が起源と言われていて、日本には鎌倉時代以降にこれに倣って朝夕に撞くようになっていたのが、室町時代になって大晦日から元旦にかけての除夜に欠かせない行事になっていき、禅宗の寺では年の変わりめに北東方向の鬼門からの邪気を払うために始まったと言われています。

百八回撞くことについて 煩悩の数

除夜の鐘では一般的に百八回撞くことになっています。これには三種類の説が言われていて、先ず一つ目は「煩悩の数」で、眼(げん 視覚能力もしくは視覚器官)、耳(に 聴覚能力もしくは聴覚器官)、鼻(び 臭覚能力もしくは臭覚器官)、舌(ぜつ 味覚能力もしくは味覚器官)、身(しん 触覚能力もしくは触覚器官)、意(い 知覚能力もしくは知覚器官)の「六根」のおそれぞれに、好(こう 気持ちがよい)、悪(あく 気持ちが悪い)、平(へい どうでもよい)というのがあって、六かける三で十八種類になり、そおお十八種類のそれぞれに浄(じょう きよらか)、染(せん きたない)のに種類があって三十六種類見なり、これが前世、今世、来世の三つの世があり三十六かける三で百八となり、これが人間の煩悩の数を表しています。

百八回撞くことについて 四苦八苦

除夜の鐘を撞くことの説とし二つ目に「四苦八苦」という説があり、四苦八苦は、仏教における「苦しみ」を表すもので、先ず「生」「老」「病」「死」の「四苦」に「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」の四つを合わせて「四苦八苦」と言います。四苦の「生苦」は、人が生まれることに起因する苦しみで、「老苦」は、人が老いていくことに起因する苦しみで、体力、気力などが自分の意思とは関係なく衰えていき、自由が利かなくなる苦しみ。「病苦」は、様々な病気に罹って痛みや苦しみに悩まされて苦しむこと。「死苦」は、死ぬことへの恐怖、そしてその先にどうなるのかという不安などの自覚、生まれたすげての物が逃れられないという苦しみで、死ぬ時の苦しみや、死によって生ずる様々な苦しみのことです。「愛別離苦」は、親、兄弟、妻子のどの愛する人達と生別したり、死別しなくてはならない苦しみのこと。「怨憎会苦」は、恨んだり憎んだり恨んでいるような者に出会わなくてはならない苦しみのこと。「求不得苦」は、求めて求ても得られないことに対する苦しみのこと。「五蘊盛苦」は、色薀、受薀、想薀、行薀、識薀の物質界と精神界の両面にわたる一切の因(直接条件)と縁(関節条件)合わさって造作沙れた無常である現象的な存在である「五薀」が自分の思うままにならない苦しみのことです。

百八回撞くこと 一年間

百八回撞くことについて、三つ目の説としては「一年間」という説もあります。
一年間の月の数の「十二」、それに太陽年を日数(平気法)や太陽の黄道上の視位置(定気法)によって二十四等分して、その分割点を含む日に季節を表す名称をつけた「二十四節気」の二十四、二十四節気をさらに五日ずつの三つに分けた「七十二侯」の七十二を足した数が百八とんるので、一年間を表すといいう説があります。

各宗派の対応

除夜の鐘は、中国か伝わって禅宗の寺院の行事であったものが、各宗派のお寺でも行われるように広まっていったのであり、有名なものとしては京都知恩院の大梵鐘の除夜の鐘があり、これは日本三大梵鐘の奈良東大寺の梵鐘(総高3、86m
 口径2、71m 重量26、3t)、京都方広寺の梵鐘(総高4、12m 口径2,227m 重量82、7t)知恩院の梵鐘(総高3、3m 口径2、8m 重量70t)の梵鐘で、毎年大晦日に十六人の人数の僧侶によって午後十時四十分頃から百八回撞かれるものです。 浄土真宗では煩悩を払うということは生きている限りできないのであるから、煩悩を除くということはしないということで、本山である東本願寺においても西本願寺においても除夜の鐘を撞くことは行われていません。

まとめ

除夜の鐘は年の締めくくりと、新年に向けて心を新たにするものとして、国民に広く親しまれていて、年中行事として行われています。浄土真宗においては本山である東西の本願寺では行われていませんが、煩悩を祓うという意味ではなく、年中行事の一つとして、蓮如上人が「世間通途の儀に順じて」とい宇お言葉を残されていることもあり、蓮通寺においても、他のお寺においても除夜の鐘が憑かれているところが多いのです。蓮通寺では大晦日の午後十一時過ぎから撞くき始めて、午前一時半くらいまでけけて撞き、沢山の門徒さんがたが来られて撞かれます。これは年の締めくくりと、新たな年を迎えるにあたって、先祖や地域に感謝し心を新たにするということで、教義に縛られなくてもよいことだと考えます。このことは何も供養も行わず(行えず)お骨を送るだけでんく、僧侶がお家に訪問し、丁寧にお勤めをしてお骨を預かるり、本坊蓮通寺にて納骨し懇ろに供養を行うのと、同じで、人を大事にすることではないかと思い、これからも続けていきます。

送骨 恭敬の会 訪問預骨

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