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黒について

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2022.09.06

くろについて

本日は九月六日で、九月の「く」と六日の「ろ」の語呂合わせで「黒の日」です。
昭和六十三年(西暦1988)に京都黒染工業共同組合が制定し、伝統的な染色の黒染めを世間にPRして、黒紋服や黒留袖の普及を図ることにしました。
黒い色は、現在では葬儀などの「喪」に用いるイメージがありますが、本来は晴れの装いに用いるもので、「黒留袖」がその最たるものです。

黒い色について

黒い色は、英語で言えば「ブラック」で、色の一つで、彩度が無い無彩色にお中で一番濃いものです。色を光として見る時に、黒は光がほとんど無い状態を意味していて、色の三原色であるRGBにおいては、三色とも無い状態です。だからテレビでは黒として発色することはできず、他の色とのコントラストの調整によって人の目には黒として写るように錯覚させているのです。
塗装や描画、文字を書く時に用いられる黒色系の色料や道具には、絵の具や塗料の他には、インク、墨、鉛筆、木炭などがあって、他の色との混ざり具合や黒色としての濃淡、光の反射度合いついては様々あります。
黒い顔料はありますが、黒い染料は昔は存在しなくて、染色で黒色を発色させるには紫色の染料を濃くしたり、何度も何っ度も繰り返して濃くしていっていたのです。それだから、紫色の染料が貴重だった頃は、黒が高貴な色であって、西洋でも、中世のイングランドのエドワード黒太子の由来も、ここからきているようです。

日本においての黒色

西洋においても、中世イングランドのエドワード黒太子の由来のように、黒は貴重で高貴な色でした。明治になるまで宮中での行事の際に「鯨幕」という、黒と白のストライプになった幕が張られていて、それはめでたい時に張られていたのです。また、平安時代に有力な貴族たちは、自分たちの権勢を示すために、絹織物を何度も何度も染めるのを繰り返して、手間暇をかけてやっと黒に染め、束帯や衣冠などの装束を調べ進し着想してそれを人に見せて、誇示していたのです。
だから今でも、束帯でも衣冠でも(よくテレビやなんかで、男子の有職の装束を言う時に「衣冠束帯」を着てなんて、アナウンサーが原稿を読んだりしますが、遺憾と束帯は別々の装束なのです)、天皇陛下の「黄櫨染」の御色と、皇太子殿下の「黄丹」の御色以外で、最も位の高い色は黒で、平成の御大礼の際、現在の今上陛下は皇太子でしたから、黄丹の袍をお召しになられ、秋篠宮殿下は黒の袍をお召しになっていました。

明治以前の染織

日本においては、染織の用いる線量は、花や木の皮や海藻などの天然の染料を用いて染めたのですが、主な染料としては、赤色系、青色系、黄色系、紫色系などがあります。
赤色系は、「紅花」と「茜」が代表的なもので、「紅花」はキク科の草木で、他の植物染料が根っこや葉っぱを利用するのと違って、花の部分を用います。紅花の花には黄色の色素も含まれているので、赤い色を出すには水洗いして黄色の色素を流れ出すようにしなくたはならないのです。「茜」は、アカネかの草木で、根っこから赤い色の色素が抽出され、紅花と同じように茜にも黄色の色素が含まれているので、黄色を流れ出させなくてはなりません。「蘇芳」は、マメ科の植物であるスオウの幹の中心部唐抽出する染料で、煤染剤を用いて赤色または紫色に発色しいます。
青色系は、もっぱら「藍」を用いて、日本ではタデ科の蓼藍です。蓼藍の葉っぱから色素を抽出するのですが、古くは生葉から抽出していたのですが、近世以降は「すもく法」と呼ばれる、蓼藍の葉っぱをよく乾燥さ、それから水を繰り返しかけて蒸らして発酵させ、腐敗度のような状態のものを作るのです。
「青は 藍よりいでて 藍より青し」と言う言葉が残っていますがその通りです。
黄色系は、稲科の草木の「カリヤス」、「キハダ」、「ウコン」、「クチナシ」などから抽出して作ります。
紫色系は、ムラサキ科の「紫草」で、紫草の根っこを湯に浸して抽出します。

明治以降の染織

明治時代のなり、西洋から化学染料が入ってきて、手間ひまのかかる植物系染料による染色は急速に衰えていきました。明治新政府は化学研究を目的とする「舎密局」を設置し、フランスのリヨンに役人を派遣して、化学染料が導入されるよになったのです。それによってこれまではできなかったような色が出せるようになり、「黒色」も簡単に出せるようになったのです。それとともに黒をハレの日に用いるのでなく、もっぱら「喪」などの時に用いるようになってしまい。宮中でめでたい時に用いていた黒白の「鯨幕」も葬儀に用いられるようになってしまい、喪服も黒となってしまったのです。

まとめ

黒い色は、明治以前は手間暇がかかってようやく出せる色で、貴重で高貴な色だったのが、明治になって化学染料が導入され、簡単に出せる色になり、また西洋の風習が入って葬儀などの喪のいろたされえてしまいました。それを我々お寺の世界でも、黒は格下で誰もが着られる色などと解釈し、葬儀の際に金蘭などの派手な高価な七条袈裟ではなく、宗祖親鸞聖人がきておられた質素な黒い衣で行うべきだ、などと主張する僧分がいるのですが、親鸞聖人は黒い色の衣ではなく、麻の生地を炭で染めた墨染めの衣と袈裟を着用しておられたのです。しかも麻で墨染めの衣と袈裟を現在調進する法がよほど手間がかかっって高価になってしまいます。それと人の人生の最後の儀式である葬儀にはあ、一番重要な袈裟衣を着用することは礼儀では無いかと思います。「恭敬の会」では、訪問して三折本尊を授与し、お勤めしお骨を預かる際、高貴な色である、黒の衣を着て袈裟をかけて伺います。それが亡くなった方に対する思いを持って接することなのです。
恭敬の会の送骨 訪問預骨、永代経、永代供養は、礼節をきちんとしてお伺いいたします。

恭敬の会 送骨 訪問預骨

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